『つき』


 見下ろすだけでなく、見上げてみた。
 見上げた、空には、丸い、月。
 英語で言うなら、Moon。いや、定冠詞つけなきゃいけないんだっけ? じゃあ、The moon。
 そんなばかな。
 地球に月は一つだけ。
『その』も何も、一つしかないじゃない、月は。
 それ以外の──たとえば金星とか火星にあるのは、衛星って言うのよ。
 この世に月は、ただ一つ。
 だったらTheなんて要らないじゃない。
 あぁ、一つしかないから、つけるんだっけ?
 うー、英語、嫌いよ。
 あたしは英語が嫌いだというのに、月はやっぱりThe moon。
「よう。なに見上げてるんだ?」
「月よ。他に何があるの」
 あたしの秘密基地、屋上に、こいつは、また勝手に入ってきた。領土侵犯。侵して犯す。ああ、こいつ、サイテーだわ。
「また、バカなこと考えてただろ」
「考えてないわよ」
 失礼だ。ほんと、失礼だ。
「帰れ、アンタ」
「ひでぇな。せっかく来てやったのに」
「頼んでないわよ」
「勝手に来たからな」
「じゃあ、帰れ」
「とっくに下校時間は過ぎてるぜ。お前こそ帰れよ」
「お前って言うな、あたしのことを」
 大体。
 なんでお前呼ばわりされなきゃならないんだろう。ふつう、名字で呼ぶだろう、こいつの立場なら。
「いいんだよ、おれが目上だから」
「よくない、帰れ」
「ああ、そう。じゃあ、おれが帰ったら、帰るか?」
「帰るわよ、だから、帰れ」
「そうか。じゃあ、先にはしご降りて、お前がはしご降りるの、見届けてやる。真下からな。しっかり見させてもらうぞ」
「この、変態」
「いいんだよ、男は30すぎたら、セクハラが合法になる」
「なるか、変態」
 なんなんだ、こいつは。
 いつもいつも。
 これから、というときに。
 いつも現れる。
 見張られてる? ストーカー? やっぱり変態だ。
「なあ」
「なによ」
「たばこ、吸っていいか」
「吸えば?」
 勝手にすればいい。
 そしたら、こいつは本当にたばことライターと携帯灰皿を取り出した。
「一度、学校の屋上で吸ってみたかった」
 しぼっ。すぱ。ふー。
 そんな仕草。
 辺りはすっかり暗くなっていたけれど、空の月の光が、煙をあたしに、見せてくれた。
 ……
「けほっ」
 煙が、目にしみる。
「煙がしみるか? まだまだ子供だな」
 うるさい。
 いつも、こいつはうるさい。
 いつもいつも。
 にじんだ涙を、左手首で、ぬぐった。
 一瞬だけ、見える。
 傷、5本。
 みたくない、みたくない。
 強く、目を押さえる。
 煙が入らないように。これ以上、涙出ないように。
 
 
 閉じた目の中に、丸い月の残像が。
 つよく、つよく。


例によって、勢いだけで。
なに書きたいんだ、椎出?


TRPG.net #もの書き 2004年10月お題『月(衛星)』
http://www.cre.ne.jp/writing/event/2004/moon.html