『寝込んでいるところに彼女がおかゆを作りに』

 ぴん、ぽーん。

 怒濤の再開発の波から取り残された、町家造りの借家の呼び鈴が、少々音程を外して、鳴り響いた。
 たしか……そう、電池だったか、それを交換しないといけないのだった。電池を交換しないと、じきに呼び鈴は鳴らなくなるのだ。確か。
 さて、電池はどこに売っていただろうか。
 そんなことを、熱に浮かされた頭でのろのろと考えながら、テツコは布団から這い出た。和装の寝間着が少しはだけて、汗ばんだ胸元が、ちらりと覗く。
「ううん……」
 胸元を整えながら、廊下の方へ。豊満、という体つきではない。どちらかといえば、筋肉の方がやや多め。ただ、風邪で寝込んでいた影響でか、いつもよりも肌の張りはないようだ。
「どなたでしょうか?」
 声がかすれている。いつもは凛とした響きの声なのだが、さすがに風邪で寝込んで三日目。
 だからだろうか、テツコの返事は聞こえなかったらしく、

 ぴん、ぽーん。

 また、呼び鈴が鳴った。
「はい、今出ますから」
 手入れがいいのか、ぴかぴかの板張りの廊下を、ふらつきながらも静かに歩きながら、返事をする。
 小間物屋で見つけた、下駄履きを足に引っかけている最中に、また呼び鈴。

 ぴぽぴぽ、ぴぽぴぽ、ぴぽぴぽぴん、ぽーん。

 訪問者はずいぶんと気が短いらしい。ついでにいえば、くもりガラスをはめ込んだ引き戸の向こうに見える姿は、背『も』短い……ずいぶん小柄のようだ。
「どちらさまで」
 鍵をかちゃかちゃと開いて、扉を開くと、訪問者は開口一番、
「遅い」
「……碕更さん」
 不機嫌そうな、というか、むくれた、というか。要するに、そんな感情をありありと浮かべて、訪問者……友人の碕更(きさら)が、立っていた。感情の機微に少々疎いテツコも、碕更が頬を軽くふくらませているのをみて、そういうのはわかった。

「ええと。碕更さん……?」
 友人ではあるが、テツコは碕更を自宅に招いたことはない。ついでにいえば、同じ学校の同じ学年だが、同じクラスではない。専攻が違うので、同じクラスにはならないのだ。
 だから、クラスで配られたプリントを持ってきた、とか、そういうことでもない。
「一体……」
 何の用でしたか?
 そう聞こうと思ったのだが、碕更はすたすたと三和土を歩き、さっさと上がり込んでしまう。
「あの、きさ……らさん?」
「台所、どこ」
「あ、そっちの、左手の方ですが」
 すると、碕更はさっさと台所に向かっていった。
 取り残されたテツコは、
「ええと」
 呟くしかない。
 とは言っても、一体何の用で、何の為にわざわざここまで。
 碕更の家からは、とても離れているのだ。少なくとも、聞いている話だと、電車でちょっと、というような距離でもない。
「あの、碕更さん? いったい……」
 台所まで、寝込んでいて衰弱したからかフラフラしつつも、追いかけると、
「お鍋、どこ」
 背負っていたバッグをおろしながら、碕更が、また呟くように訊いてくる。
「流しの上の、棚にありますが……」
 ぽそぽそとした話し方だが、碕更の声には、有無をいわせぬ響きがあった。だから、テツコも、素直に答えてしまう。
「……」
 答えを聞いて、碕更は戸棚を見上げて。
 手を伸ばした。

 すか。

 手は届かず、取っ手に触れることすら出来ない。
 ちょっと自分の手を見つめてから、今度は背伸びをして、手を伸ばした。

 すか。

 すかすかすか。

「……取って」
「え、あ、はい」
 またも素直に、答えてしまうテツコ。何の用なのか、また聞きそびれる。
 こんな調子で
「包丁、どこ」
「あ、はい」
「まな板、どこ」
「あ、はい」
 なんてやっているうちに、コンロにかけた鍋から、ことことといい香りがし始めていた。お米を鍋で炊き始めたり、切り身の鮭を焼いたり、ずいぶんと手際がよい。
 そういえば、碕更さんはしょっちゅう学校に手作りのお菓子を持ち込んでいたな、とか思いながら、テツコは突っ立って見ていた。
 風邪引いてるくせに。
 上半身をふーらふーらと揺らしながら、立ったままのテツコを見て、碕更は一言。
「……寝てれば」
 物の置いてある場所を訊いたり、背の届かないところにある物を取らせたりするから、布団に戻れず、ここにいるというのに。



 ことん。
「鮭のおかゆ」
 台所を占拠してから、おおよそ1時間半。
 ちゃぶ台の上には、ホカホカと湯気を立てているおかゆと、おかずが並んでいた。
 卵焼き、海苔の佃煮、梅干し。
 梅干しはテツコの買い置きだが、はて、他の物は買い置きしていただろうか。
「卵や佃煮は、買ったきたのですか?」
「卵は買ってきた。海苔は、湿気ったのが引き出しの隅にあったから、勝手に使った」
 いわれてみれば、確かに焼き海苔が放ったままだったかも知れない。おにぎりに巻くぐらいしか海苔の使い方なんて知らなかったから、放ったままにしていたのだが。
「海苔の佃煮って、家で作れるものなのですねぇ……」
 おかゆの前に、海苔の佃煮に感心するテツコ。
 そうしている間に、碕更はさっさとテツコのお茶碗におかゆをよそい、どこから持ってきたのか、もう一つのお茶碗に自分の分を。
「……そのお茶碗、どこにありました?」
「マイお茶碗」
 ぴよぴよ。
 碕更の小さな手にあるお茶碗には、かわいいひよこの絵が入っていた。
「……持ち歩いているんですか?」
「一緒に食べるつもりだったから」
 さすがに普段から持ち歩いているわけではないらしい。
 言葉遣いがぶっきらぼうで、人を睨むようにしか見れない碕更さん、一体どこのお店でこんな可愛らしい物を買ってくるのだろうか。
 いつもの仏頂面で懸命に品定めをしている碕更を想像して、テツコの頬が思わず弛んだ。
「いただきます」
 と、いつの間にか当の碕更はさっさと食べ始めていた。
 この三日間というもの、ろくに食事もとれなかったテツコも、おかゆの香りに食欲が戻ってきた。さっそく、いただくことにする。
 まずは、鮭のおかゆ。
「……うん。おいしいですね、これは」
 米粒をつぶさないように、おかゆは炊いているときにかき混ぜてはいけない。だがそれでは火加減を誤ると焦げてしまう。おそらく、微妙な火加減を見事に成し遂げたのだろう。自然な甘みと、鮭の味わいが、すぅっと口から喉に通り、お腹に暖かみをもたらしてくれる。
 海苔の佃煮も上出来で、存在すら忘れていた引き出しの片隅の湿気った海苔だったとは思えない。
 梅干しは、自分で買ったものだから、よく知っているが、こうして手作りのおかゆと一緒に食べると、一層旨い。
「本当においしいですよ、碕更さん」
 碕更に負けず劣らす、テツコもそんなに言葉が上手ではないし、語彙も多くない。だから、シンプルではあるが、最上級の賛辞を述べながら、テツコはおかゆを食べていく。
 だが、おかゆと佃煮と梅干し。そろそろ別の味が欲しくなる。
 碕更は自分のすぐ前に並べてある厚焼き卵を箸で突き刺しては口に運んでいる。頬張るたびに、いつもの無愛想はどこに行ったのか、満面の笑みを浮かべている。
 なので、テツコも、卵の厚焼きに箸をのば

 ぴしっ

 テツコの箸は、払いのけられた。
「……え?」
 気がつけば、碕更が
「うー」
 すごい目つきでテツコを睨んでいる。
「あ、あの……碕更さん?」
「うー」
「別に、その、私は、ただ、その卵の厚焼きを」
「こっちはダメ」
「……え?」
 意味がわからず、テツコはもう一度箸を

 ぴしっ

 また、払いのけられた。
 動体視力には自信のあるテツコだが、風邪を引いているとはいえ、今の碕更の動きは全く見えなかった。
「こっちはダメ」
「こっちはダメ、って……私にも厚焼き卵を下さいよ」
「こっちはお砂糖入り。テツコのはそっち側半分」
「……え?」
 そういえば、碕更さんは大の甘党だったなぁ。なるほど、自分専用だったのか。
 納得いって、テツコは『そっち側半分』の厚焼き卵を口にした。


「あの、碕更さん……こっちもすごく甘いですよ?」
「そっちはお砂糖をちょっとだけ。こっちはお砂糖いっぱい」
「あの……ちょっとだけって……どれくらいです?」
「大さじ3杯」
「多いですよ」
「少ない」
「多いですってば」
「……うー」
「ああ、もう、むくれないでくださいよ碕更さん。別に甘いのが嫌いなワケじゃないんですから……って、取り上げないでくださいよ、私だって食べたいんですから……」


おしまい。

……『女の子の家に女の子が行く』のは、レギュレーション違反だったりする(笑)
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