池波正太郎を、読む

 実家に戻ってきて、ここしばらく、池波正太郎の本を読むことが多い。

 今の病気にかかってから、困った事はいくつもあるけれども、集中力ががっくり落ちたというのが、一番困った。お話を書くにしても、読むにしても、どっぷりと集中することが出来ないと、どうにも上手くはいかない。別に、長い時間の集中でなくても、ほんの一時、集中して『世界に入り込む』事が出来れば、書くのも読むのも、やっぱり違ってくる。

 ただ、幸いにして、ここしばらくは少し落ち着いてきたようで、以前ほど『何も手につかない』というようなことはなくなってきた。これは、まあ、処方されてる薬が体に合ってきた事もあるだろうし、生活の環境を変えてそれが体に合ってきた事もあるんだろうな、と思う。

 で、読む本としては、最近のライトノベルを読んでみたり、新聞を読んでみたりもするのだけど、池波正太郎の本を読むことが多い。『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などはドラマでも有名だし、『真田太平記』などで知っているという人も多いと思う。ただ、最近おいらがよく読むのは、エッセイの類が多い。

 戦前の東京下町育ちで、尋常小学校を出たあとは株屋に奉公に出て、徴兵されて(直の戦場に出ることはなかったけれども)戦後にはいくつもの職を経て、劇作家をやり、そして小説を書くようになった人である。

 そのエッセイは、懐古主義……というか『昔はよかった』と現代(といっても昭和40〜50年代である)を嘆くような感じがあり、怒りを吐き出してすらいるような感じもあって、おいらはこのじいさんが目の前にいたら絶対好きになれないだろうと思うのだけれども——すでに彼岸の人である。平成2年に、すうっと居なくなってしまった。先述の『剣客商売』や『藤枝梅安』は未完だ。特に梅安は、とてもいいところで切れてしまっているので……最終巻を読むことは、あまりおすすめしない。

 ただ、エッセイは、もう居ない人が書いていることだからだからかも知れないが……『なんだこのジジイ偉そうに』と思うと同時に、とても愛おしくも思える。『へえ、そりゃおいらも一度見てみたかったですね』と言ってやりたくなる。なんとなく、愛嬌のようなものを、感じるのだ。

 上田市には池波正太郎真田太平記館(名前長えよ)という展示館があって、ここの二階には、池波正太郎愛用のパイプやパレット(この人は趣味で絵も描いていたのだ)、直筆の原稿などが展示されている。先日それを久々に見に行ったのだけど、そのあとエッセイを読んでいると、このジジイがまだ生きているような……そんな錯覚すらしてくる。いや、不思議なものである。