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『はつゆき』

 雪が降る。

 ひらひらと宙を舞っていたんだろう、一片の雪が、あたしの頬に触れた。

 その感触は

 感触──感触は──その、は──

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 しまった。

 感触はたしかにあった筈なのに。

 頬に触れた(はずの)雪と同じように、次の瞬間には、消えうせていた。



「おーい、神菜?」

「あ、叔父さん」

「あ、じゃないって。まったく」

「ええと、なに?」

「雪だ雪」

「元気ねぇ、叔父さん」

「神菜が元気ないんだよ。子供は風の子だぞ?」

 あたしは、年の割には元気にはしゃぐ、無精ひげの叔父さんと一緒に、街を歩いていた。

 ええと、そう。誕生日のプレゼント、買ってもらおうと思って。

 近頃寒いから、コートとか買ってもらうのも、いいかもしれない。

「風の子って……叔父さん、オジサンくさいコト言う」

「俺はオジサンだよ、どうせ」

「しかも、ロリコン」

「そりゃ失礼な」

「だって、あたしと付き合っている」

「おや? 俺は神菜を子ども扱いしたことはないぞ? いつでもいっぱしのレイディとして扱ってきた」

「昨日のアレが、オトナ扱い?」

「ああ、そうだ」

「……叔父さんは、ずるい」

 ええと。

 ここまでの会話で、大体解るかな。

 実はあたし、実の叔父さんと付き合っている。

 恋人として。

 うん、わかってる。許されることじゃない。

 けれどもあたしにはちっとも実感がなく。

 そんなあたしだのに、叔父さんはあたしをちゃんと受け止めてくれた。

 うーん。

 ちっとも実感はないのだけど、こうして叔父さんと二人で、そろそろクリスマス用の飾りつけが始まった街を歩いていると、その事実が大きな穴(多分、罪悪感とか後ろめたさとか、そういうもの)を埋めてくれるような──うん、私は虚ろじゃない。




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 この街には、繁華街のすぐ裏に大きな公園がある。夏は木陰に涼を求める人々が集まり、真冬には料理を題材にしたお祭りが開かれるのだけど、この時期は何のイベントもなくて、ずいぶんと物寂しい雰囲気だった。

「神菜、疲れてないか?」

「ん、別に?」

「嘘言え。慣れないブーツなんか履いてくるから、足痛いんじゃないのか?」

「そうかな?」

「そこ座れ。見せてみろ」

 そう言って叔父さんは、あたしをベンチに座らせ、その前にひざまずいて、あたしのブーツを無理やり脱がした。

 ふと気が付いて、スカートを押さえる。

 中、見えなかっただろうか?

 いや、それよりも。

 この構図は、ちょっとまずいんじゃないだろうか。

 叔父さんとデートしている時点でまずいんだけど、血縁関係を抜きにしても、この構図はまずい。

 どうみても……変。あるいは、変態。

「やっぱり」

 叔父さんは、そう呟いた。

「靴擦れ、出来てるぞ。歩き方が変だと思ったら」

「へ、そうなの?」

 見れば。

 ああ、たしかに靴擦れになってる。

「気が付かなかった」

「違うだろ。また『消えた』な?」

 あたしにはその実感がなかったのだけど──多分そうなんだろう。

「まったく。神菜は人一倍、注意深くしないとダメだって、言っただろう?」

「そんな。ちゃんと……気をつけてる」

「むくれたってダメ。現に、靴擦れ気が付いてなかったじゃないか」

 反論できない。事実だもの。でも、下の歯を上の歯にしっかりと押し付けてしまう……いや、違う、そうじゃなくて……

「おい?」

 む、むくれ──むくれて──れて──あ、ああ、なんだっけ──

「おい、神菜?」

 視界が前後に揺れる──前後に──揺れる視界──

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「神菜」

「あ、叔父さん」

 叔父さんが、あたしの肩を揺らしていた。そして、呼びかけて。

 公園なのに。

 大きな声で。恥ずかしいなぁ。

「あ、じゃないって」

「ええと、なに?」

「……また『消えた』のか?」

「……うん、多分」

「『本』、見せてみろ」

「うん」

 言われて、あたしはバッグの中に入れている、一冊の本を差し出した。皮で装丁されたその本は、勝手に開く事が出来ないように南京錠がついていて、ちょっと高価な日記帳のように見えなくもない。

 ポケットの中から鍵を取り出して、手渡すと、叔父さんはそっと本を開いて、内容を確認した。

「……どう?」

「初雪がどれだけ冷たくて心地よいかってことと、靴擦れがどれだけ痛いかってことと、やっぱり叔父さんは子ども扱いする、叔父さんのバカぁっ!、ってことが追加されている」

 それを聞いて、あたしは体の力が抜けてしまった。

「やっぱり」

 そう呟くのが、精一杯だ。

「……早く天梁の遺産を見つけてやる。だから??」

「早くしてくれないと、あたし、空っぽになっちゃうよ……」

 叔父さんは本を閉じて鍵をかけ、あたしに返した。

「呪いの本、万抱録……心配するな、必ず呪いは解いて見せるから」

 この本は、いつの頃からか、あたしの手元にある。

 そして、あたしが感じたことのいくつかを、記録していくのだ。

 記録するだけならいいけど、そのときに、あたしの心から感じたことを消し去っていく。

 記録には残るけれども、あたしの中には、何も残らないのだ。

『このことすら』あたしは『事実しか知らない』。この事実がもたらすはずの『気持ち』は、この本に記録されてしまった。

 その事が『すごく寂しくて、すごく悲しい』。

「神菜」

 叔父さんが、あたしの名を呼ぶ。

 叔父さんは、こんな身の上のあたしに、同情して、それで恋人を演じてくれているのだろうか。

 叔父さんの気持ちは本に記録されるわけじゃないから、解らないけれども。

「お茶でも飲んで、帰ろう……な?」

 ブーツを履きなおすと、叔父さんは手を差し出してくれた。ちょっとお姫様気分だ。

「ケーキも食べたい、あたし」

「はいはい。神菜の味覚は、お子様だな」

「チーズケーキだもん、レアの。オトナの味よ」

「いや、それはどうかと思うぞ?」

 そんなことを言いながら、あたしと叔父さんはバス停の近くにある、お気に入りの喫茶店へと向かう。

 ふと、視界に白いものが見えて。

 見上げれば、また雪が舞い始めていた。

 雪がそっとあたしに近づいて──頬に触れる。

 少しひんやり。

 その感覚は、ちゃんとあたしの心に残って。

 今年の初雪は『冷たくて』。

 二番目の雪は、ひんやり。

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 二番目の雪が、あたしの初雪。